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2006.06.10 Sat
キリスト教と男尊女卑 聖書についての考察 遺伝学的・生物学的視点
キリスト教と男尊女卑 聖書についての考察 遺伝学的・生物学的視点

「ダ・ヴィンチ・コード」其の? の記事に対して、ももさんが 「キリスト教って、意外と男尊女卑??な面がある気がしてなりませんでした・・・・?」とのコメントをくれました。 また、「ダ・ヴィンチ・コード」について 其の? の記事に対して、きよぶーさんも 「キリスト教の男尊女卑論に賛成です。 最近読んだ「女教皇ヨハンナ」なんて男尊女卑がすさまじかったです。ちなみにこれも映画化されるようです。」とのコメント。

そこで、「キリスト教って男尊女卑なの?」という疑問のもと、Googleで検索にかけると、いくつか出てきました。 下に挙げた3つのサイトに代表されるように、キリスト教に男尊女卑の色合いが強いという意見もあるのですね。 (以下、リンクとリンク先からの引用。)
-------------------------------------------------------------------
【キリスト教】果たして女子も救われるのか? (2ちゃんねる)
女は、割礼できないから実質救われないのか。
聖書は、女は人を惑わす悪いものとして書かれています。

キリスト教は、「平和の教え」です。と同時に激しく男尊女卑の宗教でもあります。
旧約聖書の創世記の2章では「女は人類の祖アダムの肋骨から創造された」という記述があり、まさに女性は男性の従属物であるという思想が見られます。
また、3章は有名な禁断の果実の話ですが、これも女が蛇のそそのかしにのり取って食べたことが人間の罪の始まりだと言っています。

マリアが聖母になるまで
そもそも、キリスト教が女性(≒姓的なもの)を抑圧した最大の理由は、キリスト教よりもっともっと古い「地母神」という女神がもっていた権利全てを男神のヤハウェに与えたことに起因しています。
キリスト教がローマ帝国で公認され、国教にまでのぼりつめると、女神は一層肩身の狭い存在になってしまいました。
けれど、どんなに宗教で規制しても、民衆の生きた生活や文化はやはり女性的要素なしでは成り立たないものでした。抑圧された民衆の心は「地母神」の代替物として「マリア」を選びだし、かつて「地母神」がもっていたイメージを「マリア」に重ねました。こうして、かつては「たんにイエスを生んだ一女性」であったマリアが、「聖母マリア」に変化していったのです。
-----------------------------------------------------------------

(さて、ここからが私の文章です。)

恐らく、聖書のほとんどは男性が書き、編集したものでしょうね。 内容としては、色々な側面があると思います。 まず、聖書について私が感じるのは以下のものです。 

「我々人間は、どこから来て、どこへ行くのか?」という疑問に対する一つの資料・答えを書こうとした。 
「個人的な特殊な体験」を記したという側面。
「自らを律する、人間を律する、民を律する」(戒律はこれに当たります。)という要素。
「行間を読み解釈を与える」という「暗号」としての要素。
いろいろな時代において「権力・統治・侵略・富・個人や国家の繁栄」のツールとして作った、あるいは利用されたという側面。
「物語」としての文学的・エンターテイメント的要素。

 こういった様々な要素を持つ上で、男性が書き、編集すれば、当然男性の視点からしか書けないという限界があるんでしょうね。 書いたヒト・編集したヒトの気持ちを察すると、そりゃあ、男なら、女性に否定的な気持ちの時もあるでしょ、という感覚が私の実感としてあり、少しは聖書やキリスト教に対するフォローになりえるかもしれません。 無論、全ての男尊女卑を感じさせる記述に対する答えにはなりえませんが。

 次に、聖書に書いてあることが全て事実であったり正しいことかという疑問について考えてみます。 これについては、私も論文やブログで文章を書くので分かるのですが、そのときは正しいと思って書いた内容が後になって違っていたなんてことも、時々あります。 もちろん科学的データに関しては、極力そういうことがあってはならないから、検証に検証を重ねるべきですね。 しかし、意見・考察・解釈については、普遍的なものを目指したり、妥当なものを目指したり、斬新なものを目指したり、いろいろでしょうね。 だから、「これで間違いない」なんてことはなかなかないんですよね。 聖書にもそういう側面があるんだろうと思うんですよね。 パウロあたりが、出してしまってから、「あちゃー^^;」みたいなw

 さらに、文章の解釈の観点で考えてみます。 文章というのはいろいろな解釈ができるものです。 特に「聖書」というのは、その「解釈」が重要だったりするわけです。 実際に、聖書には多くの比喩が用いられており、それをどう解釈するかは読み手に委ねられる場合が多いのです。 どう解釈するかは読み手の自由です。 文面そのままに受け取るのも、それが何を言わんとしているのかと行間を読むのも、個々人に委ねられます。 それ故、同じキリスト教徒で、同じ聖書を読んでいても、行動規範が個々人によって異なるし、宗派といったものも生じてくるのだろうと私は推測します。

 さて、話を男と女に戻します。 遺伝学・生物学的な視点で見てみます。これらの分野では、男は女の遺伝子の変異によってできたものだというのが通説になっています。 XY染色体を持つ男性よりも、XX染色体をもつ女性のほうが安定している(同じものが2つのほうが保険があり、安全)。 Y染色体はX染色体の変異によってできただろうとされている。 

 そういった視点から、人類という種を「維持・存続」するのが女性の重要な役割で、「進化」が男性の重要な役割であるという考えもあります。 「進化」するということはさらに遺伝子に変化(変異)が起こるということだから、そのぶん、失敗するリスクもあるんでしょうね。 これを示す例として、女性のほうが男性よりも平均寿命が長いという事実や、女性のほうが男性よりも丈夫だという一般論、女には変わったヒトが少ないが、男には変なやつが多いという話などがあります。 女性は男性と比較すると均質的で安定、男性は女性と比べるとバリエーションに富み、不安定と言えるかもしれませんね。 (あくまでも全体的な話です。 正規分布の図を思い出して、その山の高さや山裾の広がりが違うのをイメージしてもらうのがいいと思います。)

うーーむ。。そう言われてみると確かに。。。 いやしかし、女にも変なやつが。。。 んー、でも全体的に見ると男のほうが。。。 どうなんでしょうねw 


ダ・ヴィンチ・コード関連サイト(追加)
ダ・ヴィンチ スペシャルサイト > ダ・ヴィンチを語る
ダ・ヴィンチ スペシャルサイト > 禁断の聖書
『ダ・ヴィンチ・コード』20点(100点満点中)
「ダ・ヴィンチ・コード」、カンヌ上映で不評
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思索・対話・日記    Comment(17)   TrackBack(0)   Top↑

Comment
Posted by ilios
こんにちは。今回も、とても勉強になりました。

男尊女卑ですか…記紀神話にもそれっぽい部分がありますが、根の深い思想なんですね。

キリスト教の説く平和って、キリスト教徒にとっての、というのが念頭にあるのでしょうね。どの宗教でも概ねそうでしょうけど。まあ、実際、宗教に救われてる人もいるだろうし、ビジネスにしてる人もいますから、世界平和には一役買ってるかもしれません(笑)。

最近は女性優位な社会になってきていると聞きますけど、「維持・存続」の時代に入ったって事でしょうか。
2006.06.10 Sat 15:59 URL [ Edit ]
単純じゃないよね Posted by kiyoぶー
さすが生物学専門・・・染色体ですか(^^)
男も女もヘンなのはいっぱいいる・・・と思う。ヘンの基準もまた人それぞれ。
男の特性、女の特性はあっていいと思う。人として認めあえないのはなぜでしょう。
男尊女卑に過敏になるのは、私が女性だから?
宗教に救われてる人もたくさんいる。
宗教が平和に貢献している反面、宗教ゆえに戦争もおきている。
考え出したら私の頭のなかはぐちゃぐちゃになってしまう。
いい勉強になりました。
2006.06.11 Sun 01:18 URL [ Edit ]
思ったこと Posted by M
フェミニズムがだめだなと思うのは、やっぱり「性差」をつきつめていないなという印象を受けるからです。感情に結びついてマシストを攻撃するだけのように見えます。
経済学(マルクシズム)も戦争を起こしました。進化論もそうです。アフリカの内戦は「ダーウィニズム」が原因だとぼくは考えています。

現在国家の枠を越えて広がっているのは、企業と宗教です。それはちゃんと果たしている役目があるからだと思うのです。たぶん宗教は必要なのでしょう。その必要性を解体できない国家の欠陥が問題かもしれません。
社会的な性差は、生物学的な性差とはまったく違うというか、疎外されたものだと思っています。歴史的な問題もあります。デカルトが男尊女卑だったのは、デカルトのせいではないと思いますし、その場所でデカルトを批判して、いったい何が導き出されるのか、というとたいしたものは生産されないだろうとどうしても思えます。
2006.06.11 Sun 17:05 URL [ Edit ]
管理人のみ閲覧できます Posted by
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2006.06.11 Sun 23:25 [ Edit ]
記事の本文の所々を修正しました。 Posted by たかぼうず
 (ウェブ上の文章というものは、書物と違って、簡単に修正できるのは便利なのですが、逆に実体のないものと言えるんでしょうかね。) 全体的な内容に大きな変化はないつもりですが、一部表現を変えたところ、削除した文章、追加した文章があります。 今後とも宜しくお願い致します。



(2006/6/21 追記: 誰かが書いた記事に対して、誰かがコメントを書く。 そういうしくみの中で、記事の内容はできるだけ、公開したときのままのほうがいいですね。 後で、内容を変えるべきではないし、内容があまり変わらないのであれば、なおさら出来るだけ手を加えないほうがいい。 そういうことに気づきました。 今後は慎みます。)
2006.06.12 Mon 12:42 URL [ Edit ]
「ダ・ヴィンチ・コード」ならぬ「M・コード」 Posted by たかぼうず
Mさんの記述は、私にとってダ・ヴィンチ・コード並みに難解でしたが、少しはその謎が解けました。 ひとまず、報告しておきます。 (制限の中で仕事をして、ヒトに憶測させる点では、ダ・ヴィンチと似ていますね。) 

『デカルトが男尊女卑だったのは、デカルトのせいではないと思いますし、その場所でデカルトを批判して、いったい何が導き出されるのか、というとたいしたものは生産されないだろうとどうしても思えます。』

記事を巡る議論の流れに沿うと、「デカルト」→「キリスト教」に書き換えることで、本題にフィットする文章になります。

『キリスト教が男尊女卑だったのは、キリスト教のせいではないと思いますし、その場所でキリスト教を批判して、いったい何が導き出されるのか、というとたいしたものは生産されないだろうとどうしても思えます。』

好みに応じて、他の単語に置き換えてもいいでしょう。 一部は、解体できましたが、他の話題は、また今度。

(デカルト関連資料)
デカルト的自然観 (デカルト キリスト教 動物 自然 科学)
http://www.eic.or.jp/ecoterm/?act=view&serial=1830
デカルトと心身二元論
http://www.page.sannet.ne.jp/takakok/pages/4MASTER.htm
「心」の学術史 哲学、心理学、脳科学における心理モデルの変遷と最新のニューラルネットモデル
http://www.page.sannet.ne.jp/takakok/pages/mokuzi.html
「精神と物質」 (立花隆 利根川進)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4167330032/250-9692710-5130659?v=glance&n=465392
2006.06.16 Fri 14:57 URL [ Edit ]
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2006.06.20 Tue 15:06 [ Edit ]
デカルト的自然観は、アジアで言うと黄河文明にあたるか Posted by たかぼうず
畑作文明は自然破壊をもたらし、稲作文明はアニミズムに行き着くらしい。
―黄河文明と長江文明の比較の観点から―
http://www.asahi-net.or.jp/~QB2T-OKB/sub13-3.htm
2006.06.20 Tue 15:10 URL [ Edit ]
社会的な性差 と 生物学的な性差 Posted by たかぼうず
>社会的な性差は、生物学的な性差とはまったく違うというか、疎外されたものだと思っています。

「全く違う」、「疎外」どちらも適切な言葉ではないと思いますね。 僕は、「ものの見方の違い」だと思いますね。 もう少し難しい表現をすれば、対象・現象を説明するための手段・学問の違いです。 Mさんは、「生物学だけでは、社会の現象の全ては説明できない。」と言っているのに等しいと思います。 これは、あたりまえのことです。 なぜ、当たり前かというと、1つには、他の分野、アプローチ、視点と関係をもたないと、見えてこない部分があるから。 もう1つは、科学は発展途上であり、万能ではないからです。
2006.06.21 Wed 10:17 URL [ Edit ]
Posted by もも
>「男尊女卑」のことから、いろいろと深い内容になっており、とても考えさせられる今日この頃です。歴史には様々な経緯があります。100人いたら100人それぞれの考え方がありますし、また、その時々の考え方もありますしね。納得です。

ある絵があって、見る人によっては、その絵が若い女の人に見える人、はたまた、お婆さんに見える人、見てる角度で違った顔に見える絵があります。
見方・考え方・他にもいろいろあると思いますが、それと相反する時は、悲しいことも起こるのかな。

「平和」と「平等」、日常のなかでも、私自身が心がけるように思っていることです。(もちろん、通用しない場面も多々ありですが・・^^;)
今回はいろいろと勉強になりました。どうもありがとうございました^^。

2006.06.21 Wed 22:33 URL [ Edit ]
理解じゃないものに向かって言葉を使っているのです Posted by M
以前は、唐突でつっけんどんな書き方をしてしまいました。説明的に書くとまた変わってしまうのです。時間もありませんでした。

ただ、「適切な表現」なんてどこにもないと考えているのです。大げさに誇張していうこともできるし、間違うこともできるし、うそをいうこともできる、それだけだと思うのです。言葉をそこで解放しないとだめだと考えています。言葉の自由が人間の自由だと思っているのです。
科学が閉鎖しようとしている言葉がぼくにとって貧困なのです。事実に束縛されています。まあ「ぼくにとって」は、ですよ。

そして50%の確信しかなくても、書けば100%となります。そういうことです。
ぼくは「生物学は社会にあたえるものはない」と言ったのですが、
これ、50%です。挑発的に書いたのです。

以下の文章もそういう前提でとらえてください。

100人いたら100人の考え方があるというのは、間違っています。戦時中まではひとつの考え方しかありませんでした。ファシズムも全員一致の共産主義も、北朝鮮もひとつの考え方しかなく、それ以外は犯罪者です。わが国の「ひとそれぞれ考え方感じ方が違う」という命題は、敗戦後、「もう争いごとはまっぴらだ」と思って、京都学派が作り出したご都合的なイデオロギーにすぎません。それが人々に浸透しただけです。
態度はひとつしかありません。「意見が違うときは、必ずどちらかが間違っている」という前提に立つことです。そういう前提に立たないと世界を、話し相手を理解できませんし、考えが衝突しません、変化や進歩がありません。
それは絵を見たりや音楽を聴くときこそそうなのです。間違っていることはあるのです。ただ、「(無害であれば)間違っていてもかまわない」ことがたくさんあるだけです。
2006.06.22 Thu 11:39 URL [ Edit ]
Mさんへ Posted by たかぼうず
待ってました。

>理解じゃないものに向かって言葉を使っているのです。
>以前は、唐突でつっけんどんな書き方をしてしまいました。説明的に書くとまた変わってしまうのです。時間もありませんでした。

そうだと思っていました。 Mさんのブログからも分かります。 ただ、Mさんの場合には、あまりにも誤解を招く表現が多い。 言葉の誤用も多い。 それでは、読み手をいたずらに悩ませ、まともな議論にならない。 書き手は満足かもしれませんが。

>「適切な表現」なんてどこにもないと考えているのです。大げさに誇張していうこともできるし、間違うこともできるし、うそをいうこともできる、それだけだと思うのです。言葉をそこで解放しないとだめだと考えています。言葉の自由が人間の自由だと思っているのです。

「言葉」を愛しているのはよく分かります。 しかし、言葉に溺れている感が否めませんね。 言葉に甘えてもいます。 

>科学が閉鎖しようとしている言葉
>事実に束縛されています。

科学は、別に、言葉を閉鎖しません。 科学では、主にヒトに何かを伝えるツールの1つとして言葉が使われます。 ただの音や唄ではないというくらいのものです。 極端な例を挙げれば、仮説ならどんなファンタジーでもかまわない。 科学で使われる言葉にも文学的・宗教的言葉は数多くあります。 事実以外の部分の考察でどんなファンタジーがあったってかまわない。 

文学では、言葉は解放されていていいと思います。 当然100%ファンタジーでもいい。 「文学は言葉の芸術である」という側面がある。 伝わらなくったっていいんです。 

他人のブログにコメントするという行為は、伝えたいという気持ちで書いてもらわないと迷惑です。 言葉と知識で表面を覆い、自分の気持ちを隠しています。 言葉に長けたヒトだから言うのです。

>そして50%の確信しかなくても、書けば100%となります。そういうことです。

いいえ、具体的に「確信率50%」と書くことも出来れば、50%に感じさせるように書くこともできる。 50%をわざと100%として書くこともできる。 これだと思います。 (この「思います」がそうですね。) 科学でも、自信がなくても100%として書くことも多い。 しかもデータがあるからみな騙される。

じゃあ、残りの50%はどうなんだ? ってところのほうが重要ですよ。

>ぼくは「生物学は社会にあたえるものはない」と言ったのですが、これ、50%です。挑発的に書いたのです。

あなたは、そうは書いていなかったし、そう書いてもまだ意味不明です。 明言を避けているんだと思います。


『対立を恐れるな』 タルムードより
2006.06.22 Thu 14:10 URL [ Edit ]
返信 Posted by M
ええ?待ってたんですか?

ぼくは「たかぼうずさん」というのは、スポーツマンで、まっすぐな健康的な思考をし、女性にもやさしく(勘)、勤勉で誠実、「言葉を誤用せず」、優秀な(勘)、社会的にもまん中のしかも上位にいるひとだという印象を受けてました。
ぼくはそういうものを捨ててきたのです。最初からぼくの世界とはすれ違うことしかできないと思っていたのです。
投げやりに書いたのは、どうせ拒絶すればいいよ、そういう思いもあったのです。

宗教やフェミニズムが話題になったのでついつい、半身で書いてしまいましたが、わざわざコメントしながら「伝えたい気持ち」をもたなかったのは間違っていました。

科学の言説の客観性が描いているコミュニケーションがきらいなのです。言葉の問題だと思うんだけどなあ。全部。差別も貧困も戦争も死も。きっちりとはいえませんがこれは「勘」です。
それで、確信率50%とは書くことはできませんよ。書いた後でそう気づくだけだからです。論文を書いているわけじゃないのです。つまり反省的なものではないのです。こうして今書いているものも作っています。変わるために書いているのです。

最新印象的だったのは、ぼくくらい文学と戦っている人はいないだろうとずっと自分で思っていたら、「Doors open at 10 p.m.」の回廊さんは、あなたほど文学に毒されているひとはいない、そこから一歩も出ようとしない、といった見方をしました。そのときははっとしました。同じ穴だったんですね。

たかぼうずさんの「気持ちを隠して」いるとか「明言を避けている」というのはわかります。痛いところですし、よくわかりますが、そこが駄目なんです。もしそこが健康だったら、別の人だったでしょう。たとえば、スポーツマンで、まっすぐな健康的な思考をし、女性にもやさしく、勤勉で誠実……な人だったでしょう。
2006.06.22 Thu 15:37 URL [ Edit ]
Mさんへ Posted by たかぼうず
>ぼくは「たかぼうずさん」というのは、スポーツマンで、まっすぐな健康的な思考をし、女性にもやさしく(勘)、勤勉で誠実、「言葉を誤用せず」、優秀な(勘)、社会的にもまん中のしかも上位にいるひとだという印象を受けてました。
>ぼくはそういうものを捨ててきたのです。最初からぼくの世界とはすれ違うことしかできないと思っていたのです。
>投げやりに書いたのは、どうせ拒絶すればいいよ、そういう思いもあったのです。

勘違い、先入観も甚だしいですねえ。 万が一、ブログ上でそういう「たかぼうず像」が出来上がっているのなら、どんどん破壊して欲しいですねえ(笑)。 それにしても乱暴な文章を書くのは、私に対してだけでなく全てに対して不誠実ですね。 私に対しては、ただの差別ですけどね(苦笑)。

確かに「言葉」の問題は大きいと思います。 誤用や誤解を招く表現は、その反面教師ですか。 ニヒリストってことですか。

宗教やフェミニズムについては、ずいぶん調べたり考えさせられました。 どちらも身近な問題です。 どのみち避けて通れません。

ちなみにフェミニズムはあなたが書くまで話題にはなっていませんでした。 あなたが男尊女卑から連想しただけです。 また、私のことを勝手にフェミニストと決め付けたようです。 さらに言うと、俗に言うフェミニストとは、もはや歴史的・社会的なフェミニズム運動・思想を支持するヒトのことではありません。
2006.06.22 Thu 17:05 URL [ Edit ]
キリスト教的民主主義ってなんだろう Posted by たかぼうず
記事からの引用
>聖書について私が感じるのは以下のものです。
>いろいろな時代において「権力・統治・侵略・富・個人や国家の繁栄」のツールとして作った、あるいは利用されたという側面。

私の文章中の、ここが引っかかったヒトは多いのではないでしょうか。 なぜこう書いたか考えてみた。

現代の(ブッシュ)アメリカは、正義の名の下に戦争をし、キリスト教的民主主義を他国に押し付けているように思える。

こういう気持ちが生まれるのには、近い過去に日本がアメリカに戦争で負けたことが大きく関係していると思う。

もちろん、自由で競争的なアメリカ社会により生み出された「モノ」に助けられることは個人レベルでも多いから、アメリカの全てを非難は出来ないし、そういうつもりもない。

しかし、日本に見るアメリカ的な文化の毒の部分が気になる。 既にこれは、現代日本の文化なのだが。

ポイントは、まずは心にひっかかっていること(心の壁)に気づくことではなかろうか。
2006.06.22 Thu 17:24 URL [ Edit ]
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2006.06.22 Thu 22:24 [ Edit ]
Posted by Mark
あなたに対する第一印象は誤りだったが、あの印象を私はずっと忘れないだろう。


他者を知ることは知恵。 自分を知ることは悟り。
2006.06.26 Mon 17:55 URL [ Edit ]

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